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今川氏真の立て籠もりと徳川軍による半年に及ぶ長期包囲戦
戦国時代前期、掛川城は今川氏の重臣である朝比奈氏が城代を務め、東海道を通って遠江国から三河国へと至る重要ルートを抑える堅城として機能していた。 永禄十一年(一五六八年)、甲斐国の武田信玄が駿河への侵攻を開始すると、今川氏の当主である今川氏真は本拠地の駿府を追われ、朝比奈泰朝が守るこの掛川城へと逃げ込んだ。 同時に、遠江への侵攻を開始した徳川家康の軍勢が掛川城を包囲し、激しい攻防戦が展開されることとなる。朝比奈泰朝と城兵は地の利を活かして徳川軍の猛攻を再三にわたって退け、包囲戦は約半年に及んだ。 最終的に武田信玄の軍事的脅威を危惧した家康から和睦が提案され、氏真の身の安全と引き換えに掛川城は無血開城される。 これにより戦国大名としての今川氏は実質的に滅亡し、掛川城は徳川家の遠江支配の最前線拠点へと移行することとなった。


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