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深さ20メートルの大堀切。敵を底へ落とす土の設計
箕輪城の中心にある大堀切は、山を深く削って城の区画を分ける巨大な溝です。敵が底へ降りれば、登り直す間に上から攻撃を受ける。 ここでは石垣の高さではなく、歩く速度と向きを奪うことが防御になります。土を掘り、土を盛るだけで、軍勢の流れを一本に絞る仕組みができていました。

みのわじょう
箕輪城
箕輪城を、葬式は無用、敵の首を墓前に供えよ! 武田信玄を6度も撃退した「土の要塞」箕輪城という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

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箕輪城の中心にある大堀切は、山を深く削って城の区画を分ける巨大な溝です。敵が底へ降りれば、登り直す間に上から攻撃を受ける。 ここでは石垣の高さではなく、歩く速度と向きを奪うことが防御になります。土を掘り、土を盛るだけで、軍勢の流れを一本に絞る仕組みができていました。

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出入口の前に半円形の土塁を置く丸馬出は、敵を狭い通路へ誘導する装置です。広がれない軍勢は、城側から見れば攻撃を集中しやすい。 箕輪城の凄さは、土の壁が単独で強いのではなく、堀と組み合わさって「敵が選べる道」を減らしていることです。

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長野業正の死後も続いた。土の要塞の戦いを、葬式は無用、敵の首を墓前に供えよ! 武田信玄を6度も撃退した「土の要塞」箕輪城の中の具体的な場面があります。 城の設計を使いこなした城主が長野業正です。武田信玄の侵攻を幾度も退けた業正が病に倒れると、箕輪城は大きな転機を迎えました。 やがて城は落ち、武田、織田、北条を経て井伊直政の手に移ります。それでも深い空堀と土塁は、戦国大名が群馬の覇権を争った痕跡として残りました。
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