長浜城

ながはまじょう

長浜城

Photo: baggio4ever / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

長浜城 | 滋賀県の琵琶湖畔に築かれた城。豊臣秀吉(当時の羽柴秀吉)が初めて自らの城を持ち、大名としての第一歩を踏み出した記念碑的な城郭

滋賀県の琵琶湖畔に築かれた長浜城は、農民出身であった豊臣秀吉(当時の羽柴秀吉)が初めて自らの城を持ち、大名としての第一歩を踏み出した記念碑的な城郭である。物流を支配するための水城としての高度な機能と、後に自然災害によって一瞬にして城が崩壊した凄惨な歴史的出来事について概観する。

基本情報

名称
長浜城
別名
今浜城(旧名)
所在地
滋賀県長浜市
築城
1573年(天正元年)〜1575年頃
主な築城者
羽柴秀吉
現在の城跡・建造物の状態
豊公園として整備。模擬天守(長浜城歴史博物館)があり、一部の石垣や井戸跡が現存。
水運を直結させた「港湾都市」としての城郭設計

01

水運を直結させた「港湾都市」としての城郭設計

浅井氏を滅ぼした功績により小谷城を与えられた秀吉であったが、小谷城は急峻な山城であり、領国経営や物流には不便であった。そこで秀吉は、琵琶湖の湖畔に位置する「今浜」という地に着目し、主君・織田信長の「長」の字をもらって「長浜」と改称のうえ、新たな平城を築城した。この長浜城の最大の特徴は、城内に直接琵琶湖の水を引いた水堀を巡らせ、城の中からそのまま船に乗り込むことができる水城(海城)の構造を持っていたことである。湖上交通の要衝を城そのものに取り込むことで、北陸と畿内を結ぶ物流ルートを完全に掌握する意図があった。

楽市楽座と免税特権による大規模な城下町形成

02

楽市楽座と免税特権による大規模な城下町形成

城の建設と並行して、秀吉は城下町の発展にも極めて合理的な経済政策を導入した。彼は旧主である浅井氏の城下町から商人や職人を強制的に移住させただけでなく、「楽市・楽座(特定の座による独占の廃止と自由取引の認可)」の特権を与えた。さらに、町衆に対して地子銭(土地税)を恒久的に免除するという大胆な免税措置(三百石の朱印状)を講じたのである。この経済的優遇措置により、全国から多くの商人が長浜へ集まり、短期間のうちに琵琶湖北部において最も繁栄する商業都市が形成されるに至った。

天正地震による全壊と山内一豊の娘の死

03

天正地震による全壊と山内一豊の娘の死

秀吉が天下人へと登り詰めていく中、長浜城は山内一豊によって治められていた。 しかし1586年(天正13年)、マグニチュード8クラスと推定される巨大地震「天正地震」が近畿から東海地方を襲う。琵琶湖畔の軟弱な地盤に建っていた長浜城の被害は壊滅的であり、城郭の建物の大半が倒壊、あるいは液状化によって湖へと崩れ落ちた。 この時、城内で生活していた山内一豊と妻・千代の間に生まれた一人娘の与祢(よね)が、崩れ落ちた建物の下敷きとなってわずか数歳で命を落とした。天下統一の拠点として繁栄した城が、一瞬の自然災害によって悲痛な現場へと変わった事象である。

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事