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建武の新政下で築かれた南朝方の奥州防衛拠点
鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇による建武の新政が始まると、北畠顕家は陸奥守として奥州へ下向した。この顕家に供奉して甲斐国から奥州へと入ったのが南部師行(なんぶ もろゆき)である。 建武元年(一三三四年)、師行は現在の八戸の地に新たな城館を築き、南朝方の拠点として「根本となる城」という意味を込めて「根城」と名付けた。 その後、足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻して南北朝の動乱が勃発すると、根城は奥州における南朝方の軍事・政治の最前線基地となる。 師行自身は和泉国石津の戦いで北朝方の高師直軍と激突して壮絶な戦死を遂げるが、彼の跡を継いだ八戸南部氏(根城南部氏)は、その後約三百年間にわたりこの根城を居城として領国経営を行い、北朝方の勢力と激しい攻防を繰り広げた。



