根室半島チャシ跡群

ねむろはんとうチャシあとぐん

根室半島チャシ跡群

Photo: 1467jp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

根室半島チャシ跡群|北海道根室半島に点在するアイヌ民族の砦「チャシ」。軍事的な防衛拠点にとどまらず、祭祀の場や交易の拠点として多目的に利用された独自の空間構造と、和人との凄惨な抗争の舞台となった歴史的背景を記録する。

北海道の最東端、根室半島の沿岸部には「チャシ」と呼ばれるアイヌ民族の遺跡が数多く集中して点在している。「城」や「砦」と訳されることが多いが、日本の本州に存在する武士の城郭とは設立の目的や構造が根本的に異なる。軍事拠点であると同時に、神聖な祭祀の場であり、交易の監視所でもあったチャシの多面的な機能と、近世における和人(松前藩など)との激しい抗争の歴史について詳述する。

基本情報

名称
根室半島チャシ跡群
別名
特になし
所在地
北海道根室市(半島沿岸部に24ヶ所点在)
築城
16世紀〜18世紀頃(アイヌ民族による)
主な築城者
アイヌ民族
現在の城跡・建造物の状態
国指定史跡。ヲンネモトチャシ跡などが整備されており、半円形の壕(空堀)や土塁の遺構が海岸段丘上に良好な状態で現存する。
海岸段丘をコの字型に区切る独特の土木構造

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海岸段丘をコの字型に区切る独特の土木構造

アイヌ語で「柵囲い」を意味するチャシは、北海道全域で約五百ヶ所以上が確認されているが、そのうちの二十四ヶ所が根室半島に集中して国指定史跡となっている。代表的な「ヲンネモトチャシ」などの構造を見ると、海に突き出した海岸段丘の崖を背後にし、陸地側をU字型(またはコの字型)に深い壕(空堀)と土塁で区切るという「面崖式(めんがいしき)」と呼ばれる縄張りが多く採用されている。堀の深さは数メートルに及ぶものもあり、堀の内側に丸太の柵を立て巡らせて外敵の侵入を防いだ。アイヌ民族は文字を持たなかったため築造時の設計図等は存在しないが、自然の地形を巧みに利用し、最小限の土木作業で最大限の防衛効果を発揮する合理的な要塞構築技術を確立していたことが遺構から証明されている。

砦・祭祀場・交易拠点としての複合的な機能

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砦・祭祀場・交易拠点としての複合的な機能

本州の城郭が主に軍事・政治の拠点として機能したのに対し、チャシは極めて多目的な空間として利用された。第一に、他部族や和人との戦闘に備えた軍事的な「砦」としての機能。第二に、沿岸部を通行する船を監視し、サケや昆布、毛皮などの豊かな海産物を背景とした「交易の拠点」としての機能。そして第三に、アイヌの神々(カムイ)に対して祈りを捧げ、儀式を行う神聖な「祭祀場」としての機能である。実際にチャシの内部や周辺の発掘調査では、日常的な生活の痕跡(住居跡)だけでなく、獣骨や祭祀に用いられた道具、本州から持ち込まれた漆器や古銭などが多数出土しており、チャシがアイヌ社会において宗教的かつ経済的な中心地であったことが考古学的に実証されている。

クナシリ・メナシの戦いと和人支配に対する最終抗争

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クナシリ・メナシの戦いと和人支配に対する最終抗争

近世に入ると、チャシは松前藩をはじめとする和人(本州の日本人)の過酷な搾取に対するアイヌ民族の抵抗の拠点となっていく。寛政元年(一七八九年)、国後島と根室地方のアイヌたちが、和人商人の不当な交易や強制労働に対して一斉に蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」が勃発する。この抗争において、根室半島のチャシ群もアイヌ側の拠点として機能したが、強力な火器を持つ松前藩の鎮圧軍の前に敗北を喫した。蜂起の首謀者とされた三十七名のアイヌは処刑され、これを境にアイヌ民族による大規模な武力闘争は終焉を迎える。根室半島にひっそりと残る壕や土塁の痕跡は、豊かな自然と共生した独自の文化の証であると同時に、和人による支配に命懸けで抗ったアイヌ民族の悲壮な抵抗の記憶を現代に留める歴史的記念碑である。

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