仙台城

せんだいじょう

仙台城

Photo: 663highland / Wikimedia Commons / CC BY 2.5

伊達政宗が築いた東北最大規模の城。幕府への警戒を避けるため天守を造営しなかった防衛戦略や、崖にせり出す巨大な懸造の建築技術、そして戦後の米軍接収に伴う騎馬像の供出と再建の歴史を詳述する。

宮城県仙台市に築かれた仙台城(青葉城)は、伊達政宗が東北支配の拠点とした広大な城郭である。徳川幕府への配慮から天守を持たない独自の構造を採用しつつ、広瀬川や断崖絶壁を利用した強固な防衛線を構築した。高度な建築技術が用いられた御殿の威容と、近代における軍事施設化からの変遷について概観する。

基本情報

名称
仙台城
別名
青葉城、五城楼
所在地
宮城県仙台市青葉区
築城
1601年(慶長6年)
主な築城者
伊達政宗
現在の城跡・建造物の状態
青葉山公園として整備。本丸跡に伊達政宗騎馬像が建つ。復元された大手門脇櫓や、石垣が現存。
幕府の猜疑心を回避するための「天守を持たない」築城戦略

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幕府の猜疑心を回避するための「天守を持たない」築城戦略

慶長六年(一六〇一年)に築城が開始された仙台城の最大の特徴は、大名の権威の象徴である「天守」が最初から建造されなかったことである。 六十二万石という奥州最大の石高を誇る伊達家であれば、壮麗な天守を築く財力は十分に備わっていた。しかし、天下の覇権を握った徳川家康に対して無用の警戒心を抱かせることを避けるため、政宗はあえて天守の造営を見送ったとされている。 その一方で、本丸の周囲には切込接(きりこみはぎ)と呼ばれる極めて高度な技術を用いた巨大な石垣を築き上げ、広瀬川と青葉山の急峻な地形を組み合わせることで、実戦において鉄壁の防御力を発揮する難攻不落の自然要塞を完成させたのである。

断崖絶壁にせり出した清水寺を彷彿とさせる「懸造」の建築

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断崖絶壁にせり出した清水寺を彷彿とさせる「懸造」の建築

天守を持たない代わりに、政宗は城の威威を示すための特別な建築物を本丸に造営した。それが、断崖絶壁の上にせり出すように建てられた「大広間」の懸造(かけづくり)建築である。 京都の清水寺の本堂と同じ構造であり、崖の下から多数の長い柱で建物を支えるこの工法は、当時の建築技術の粋を集めたものであった。 伊達政宗は幕府からの上使(使者)をこの大広間で接待し、崖下から見上げるような圧倒的な景観と、豪華絢爛な内部の障壁画を見せつけることで、伊達家の強大な財力と卓越した技術力を誇示した。 軍事的な威圧感(天守)を隠しつつ、文化的な豊かさと建築の凄みによって相手を圧倒する、政宗の高度な政治的演出であった。

戦時下の金属供出による騎馬像の消失と米軍キャンプへの変貌

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戦時下の金属供出による騎馬像の消失と米軍キャンプへの変貌

現在、仙台城跡のシンボルとして本丸跡に建つ「伊達政宗騎馬像」は、実は二代目である。 昭和十年に設置された初代の青銅製騎馬像は、第二次世界大戦中の金属類回収令によって供出され、武器生産のために溶かされてしまった。 さらに終戦後、広大な仙台城跡は進駐軍(アメリカ軍)によって接収され、「キャンプ・センダイ」として長らく米軍の軍事施設として使用されるという数奇な運命を辿った。 昭和三十二年(一五九七年)に米軍からの返還が完了し、現在の二代目の騎馬像が再建されるに至って、ようやく城跡は市民の憩いの場としての機能を取り戻した。 歴史的遺産が近現代の戦争によって大きな影響を受けた象徴的な場所である。

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