竹田城跡

たけだじょうあと

竹田城跡

Photo: Brakeet / Wikimedia Commons / CC0

竹田城|雲海の名所になる前は、銀山への道を押さえる石の要塞だった

竹田城を、雲海の名所になる前は、銀山への道を押さえる石の要塞だったという切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
竹田城(たけだじょう)
読み
たけだじょう
別名
虎臥城(とらふすじょう)
所在地
兵庫県朝来市和田山町竹田
築城時期
15世紀に築城。16世紀末に現在につながる石垣群を整備
築城者
太田垣氏(山名宗全の命による)
現在の城郭
天守・櫓は残らず、山上に石垣遺構が残る
文化財・指定
国指定史跡
雲海のためではない。銀山へ向かう道を見張ったCreated by are-iina

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雲海のためではない。銀山へ向かう道を見張った

竹田城が立つ古城山は、南但馬を押さえる位置にあります。兵庫県立歴史博物館は、麓を流れる円山川を経て生野へ通じる場所として竹田城を説明しています。 生野には銀山があり、道と物資の流れを監視することは、城主にとって軍事だけでなく経済の問題でもありました。雲海の写真では見えない竹田城の本業は、山頂から周囲を見渡し、南但馬の交通を押さえることです。 城跡から谷筋と道を見下ろすと、「なぜここに石の城を置いたのか」が景色の中に戻ってきます。

土の山城が、石垣の城へ大改造されたCreated by are-iina

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土の山城が、石垣の城へ大改造された

竹田城は最初から、現在の石垣の姿だったわけではありません。兵庫県立歴史博物館によると、1585年に新城主となった赤松広英のもとで、旧城は石垣造りの山城へ大きく姿を変えました。 山の尾根を使うだけなら、土塁と堀でも守れます。そこへ大量の石を運び、曲輪の縁を固めるには、動員できる人と資材が必要です。竹田城の石垣は、山の上に築城技術と権力を持ち上げた痕跡でもあります。 近くで石垣を見ると、雲海より先に、斜面へ石を積み上げた工事の大きさが迫ってきます。

空から見ると、城は絶景ではなく進路の設計図になるCreated by are-iina

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空から見ると、城は絶景ではなく進路の設計図になる

山頂の石垣に立つと、曲輪、虎口、通路が段々に連なっているのが分かります。これは眺めのための展望台ではなく、山の上で敵の進路を制限する設計です。 雲海に浮かぶ写真は、竹田城を一枚の風景にします。しかし晴れた日に城内を歩けば、石垣の高さ、曲輪の分かれ方、谷へ落ちる斜面が一つの防御線として見えてきます。 「天空の城」という呼び名を入口にしても、最後は雲ではなく、石垣がつくった進路へ戻ってきてください。

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