札幌の家具店から全国チェーンへ。
美しい景色の向こうに、教科書には収まりきらない北海道がある。
星形の城郭、消えかけた運河、石炭で栄えた街。華やかな観光イメージの裏には、決断や葛藤、知られざる人々の歴史がある。北海道をいつもとは少し違う角度から歩いてみよう。

函館の五稜郭を上から見ると、きれいな五角形の星に見える。観光客には美しい形だが、あの突起は飾りではない。大砲を備えた時代の要塞に求められた、戦うための形だった。
角を外へ突き出した稜堡(りょうほ)を設けることで、城壁の正面だけでなく隣の壁沿いにも射撃できる。四角い城壁では攻撃しにくい場所が生まれるが、星形はその死角を減らそうとする工夫だ。
幕末、箱館奉行所の防衛拠点として築かれ、戊辰戦争の最終局面では旧幕府軍が立てこもった。ただし完成直後の五稜郭が、星形の設計だけで近代火器の攻撃を防げたわけではない。美しい星の下には、時代の変化に追いつこうとした幕末の焦りが刻まれている。

札幌時計台の正式な由来は、札幌農学校の演武場。最初から街のシンボルを造ろうとしたわけではない。学生たちの兵式訓練や体育、式典のために建てられた建物だった。
1878年に演武場として落成した当初、現在のような時計はまだない。大時計が取り付けられたのは後のことで、建物の役割が変化するなかで札幌を代表する景観になった。
観光名所として写真に収める建物の中身は、明治の学校教育を物語る史跡だ。時計ばかり見ていると、その本来の目的を見落としてしまう。

いまや小樽観光の象徴となった運河。石造倉庫の前に水が流れ、ガス灯が並ぶ風景は、最初から観光客のために整備されたものではない。
港の荷揚げを効率化するために造られた運河は、物流の近代化によって役割を失っていく。昭和後期には道路を広げるため埋め立てる計画が進み、市民のあいだで保存の是非をめぐる長い議論が起きた。
結果として運河の一部は幅を狭めて残り、周辺が散策できる景観へと整備された。『古いものを全部残した』話でも、『全部壊した』話でもない。衝突と妥協が、現在の小樽運河を生んだ。

メロンで知られる夕張市は、かつて石炭とともに膨れ上がった都市だった。1960年には人口が約11万7千人に達し、炭鉱で働く人々と家族の暮らしが街を支えていた。
しかしエネルギーの主役が石炭から石油などへ移り、閉山が進むと、雇用も人口も急減した。観光など新たな産業づくりを試みたが、財政運営は厳しさを増し、2007年には財政再建団体となった。
夕張の歴史は、炭鉱の閉山で一瞬にして街が消えたという単純な物語ではない。産業を変えようとした試行錯誤と、人口減少のなかで公共サービスを維持する難しさが重なっている。

倶知安(くっちゃん)、弟子屈(てしかが)、長万部(おしゃまんべ)。北海道には、漢字を見ただけでは読み方が想像しにくい地名が多い。
その背景にあるのは、もともとのアイヌ語地名を日本語の漢字で書き表してきた歴史だ。発音を写すために漢字が当てられた結果、文字の通常の読みと地名の読みが一致しないことがある。
地名には川の形や土地の特徴など、アイヌの人々が読み取ってきた自然の情報が残る。一方で語源には諸説あるものも多い。難読漢字をクイズで終わらせず、その土地をどのように認識していたかを知る入り口にしたい。

『札幌ラーメン』と聞いて、味噌味の丼にコーンとバターが載る写真を思い浮かべる人は多い。けれど札幌のラーメン店で、必ずしもその組み合わせが標準というわけではない。
味噌ラーメンが札幌の名物として広がっていく一方、バターやコーンは観光客にも北海道らしさが伝わりやすい具材として定着した。店によっては追加トッピングであり、地元の客はチャーシューや野菜中心の一杯を選ぶこともある。
『本場の味』と『観光地で期待される味』は必ずしも同じではない。バターコーンは偽物という話ではなく、食文化が観光イメージによってもう一つの定番を持ったという話だ。

旭川の旭山動物園は、かつて入園者が減り、存続が危ぶまれる時期があった。そこから全国的な知名度を得るまでになった逆転劇の主役は、派手な動物ショーではない。
動物がもともと持っている行動や能力を見せる『行動展示』だ。ペンギンが水中を飛ぶように泳ぐ様子、アザラシが水槽の円柱を上下する様子など、動物の自然な動きが観察できるよう施設を工夫した。
珍しい動物を増やすことだけが人気の近道ではない。見せ方を変えれば、見慣れた動物も驚くほど新鮮になる。旭山動物園の変化は、地方の施設が発想で勝負した物語でもある。

北海道の開拓史は、農地を切り開いた人々や新しい街の話として語られがちだ。その陰で、囚人たちが過酷な道路工事に動員された歴史がある。
明治時代、政府は北海道の開発と防衛を急ぎ、集治監の受刑者を道路建設などに投入した。網走と旭川方面を結ぶ中央道路の工事では、多くの囚人が厳しい労働環境に置かれ、命を落とした人もいた。
人が行き交う道は便利さの象徴だが、その建設過程には犠牲もある。博物館網走監獄などに残る資料は、北海道開拓を成功談だけで終わらせない重要な手がかりだ。

冬の知床や網走で見られる流氷は、北海道の海岸近くで一斉に凍った氷がそのまま浮かんでいる、というだけではない。
オホーツク海の北部、アムール川の流入域などで海が凍り、風や海流に押されて南へと移動する。何百キロも旅をして北海道沿岸に届く氷もある。
流氷はただの美しい冬景色ではない。氷の生成と融解は海の混合や栄養塩の循環に関わり、海の生態系にも影響を与える。北海道の浜辺から見える白い海には、北方の自然がつながっている。

北海道の歴史は明治の開拓から始まった、と考えると大事な時代が抜け落ちる。江戸時代には道南を拠点とする松前藩が存在した。
松前藩は米が十分に収穫できる地域を基盤とした一般的な藩とは異なり、アイヌの人々との交易を重要な収入源とした。交易の場をめぐる支配関係や不平等、抵抗の歴史もあった。
松前藩を知れば、『何もない土地に開拓者が来た』という説明では北海道の歴史を捉えられないことが分かる。そこには明治以前から人々の生活、交易、権力のせめぎ合いが続いていた。
札幌の家具店から全国チェーンへ。
旭川の薬店が全国的なドラッグストアの原点。
北海道にルーツを持つ全国的な調剤薬局グループ。
釧路のホームセンター事業が現在のDCMのルーツの一つ。
札幌・琴似から全国へ広がった居酒屋。
札幌の開拓使麦酒醸造所から始まったブランド。
北海道の酪農組合を起源とする全国的な乳製品ブランド。
十勝の酪農家たちが立ち上げた乳業ブランド。
札幌発のチョコレートブランド。
札幌で誕生した全国的な北海道土産。
札幌の企業が生んだ世界的バーチャルシンガー。
北海道生まれのベーカリーチェーンが全国展開。
和菓子のあんこを支える小豆の大部分が北海道産。
全国の牛乳・バター・チーズの原料を支える。
日本の食卓のじゃがいもを支える巨大産地。
※数値は採用済み企画の参考値。公開前に各指標の公的統計・年度を再確認します。
| No. | 小ネタ | ここが面白い |
|---|---|---|
| 01 | 北海道の赤飯は甘い! | 小豆の代わりに甘納豆を使った赤飯が親しまれている。 |
| 02 | 北海道では七夕が8月7日? | 札幌などでは8月に七夕を祝う地域がある。 |
| 03 | ザンギと唐揚げは何が違う? | 味付けや呼び名の境界は地域・店によって異なる。 |
| 04 | カップ焼きそばなのにスープ付き! | 「やきそば弁当」は戻し湯を使う中華スープが定番。 |
| 05 | ガラナ飲料が北海道で根付いた理由 | 全国では珍しいガラナ飲料が道内では長く愛されてきた。 |
| 06 | 道路の上にある赤白い下向きの矢印 | 雪で道路端が見えないとき位置を示す矢羽根付きポール。 |
| 07 | 北海道では梅と桜が同時に咲くことも | 気温の上昇が急な春ならではの現象。 |
| 08 | 札幌の地下鉄はゴムタイヤで走る | 一般的な鉄輪式地下鉄と異なる方式を採用。 |
| 09 | 運動会でジンギスカン? | 一部の学校・地域では運動会の日の食事に登場する。 |
| 10 | 雪虫が飛ぶと初雪が近い? | 秋に見かける雪虫は冬の訪れを告げる存在とされる。 |
| 11 | 温かいおにぎりが買えるコンビニ | セイコーマートの「ホットシェフ」は店内調理が特徴。 |
| 12 | 真冬でもアイスを楽しむ | 暖房の効いた部屋で冷たいものを食べる文化がある。 |
| 13 | 瓦屋根が少ない理由 | 雪・凍結と住宅構造に合わせた屋根づくりが進んだ。 |
| 14 | 函館の夜景はなぜくびれている? | 函館山の両側を海に挟まれた街の地形が理由。 |
| 15 | 「内地」という言葉の歴史 | 本州などを指す北海道の歴史的な呼称。現在の使用には配慮が必要。 |