京都・八坂通と八坂の塔
REGION FEATURE / KYOTO

京都の裏側

本能寺は、あの場所にない。
御所の角はへこんでいる。
地下には、琵琶湖に迫る水瓶がある。

Photo: Basile Morin / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

千年の都は、表通りだけでは分からない。

寺と神社、町家、祇園祭。京都には誰もが知っている顔がある。その少し裏へ回ると、住所は「上ル」「下ル」で動き、本能寺の変が起きた場所から本能寺は消え、京都御所は鬼門だけわざわざ角をへこませている。

さらに地下には巨大な水盆があり、北へ行けば神様の梯子が倒れてできたとされる天橋立がある。京都は、地上に見えているものだけで終わらない。

現在の本能寺本堂
現在の本能寺本堂 / Wikimedia Commons
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本能寺の変の「本能寺」は、今の本能寺ではない

京都市役所の近くにある現在の本能寺を訪れても、明智光秀が織田信長を襲った現場には着かない。

1582年の本能寺は、現在地より西の油小路蛸薬師一帯にあった。本能寺の変で焼失したあと、豊臣秀吉の都市改造によって寺町御池の現在地へ移された。

元の場所には「元本能寺町」「元本能寺南町」という町名が今も残る。寺は移っても、事件が起きた場所の名前は京都の住所の中に残った。

京都の上ル・下ル・東入ル・西入ルを示すイメージ
京都の通り名住所をイメージした生成画像
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京都の住所は「上ル」「下ル」で動く

京都の中心部では、住所に「上ル」「下ル」「東入ル」「西入ル」が出てくる。上ルは北へ、下ルは南へ、東入ルと西入ルはそのまま東西へ進む意味だ。

現在の本能寺は「寺町通御池下ル」。寺町通と御池通の交差点を基準に、南へ進めば着く。町名と番地だけではなく、二本の通りと進む方向で場所を伝える。

通り名そのものも「丸竹夷二押御池……」と歌にして覚えられてきた。碁盤の目の町では、住所まで道案内になっている。

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秀吉は京都を22.5kmの土塁で囲んだ

京都に残る御土居
京都に残る御土居 / Wikimedia Commons

豊臣秀吉の京都改造は、本能寺を動かしただけではない。1591年、京都の周囲に御土居と呼ばれる土塁を築いた。

京都市によれば、御土居は東の鴨川、北の鷹ヶ峯、西の紙屋川、南の九条付近を結び、総延長は22.5km。外敵への防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防を兼ねていた。

土塁の内側は洛中、外側は洛外。鞍馬口や丹波口という地名の「口」は、御土居に設けられた出入口の名残でもある。

京都盆地の地下に巨大な水盆がある様子を示すイメージ
京都盆地の地下水盆をイメージした生成画像
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京都の地下には、琵琶湖に迫る巨大な水瓶がある

京都盆地の地下には、約211億トンの水が蓄えられていると推計されている。琵琶湖の貯水量は約275億トン。地上からは見えないが、京都の地下には琵琶湖に迫る規模の「水盆」がある。

盆地を囲む山から流れ込んだ水が地下へ染み込み、長い時間をかけて蓄えられてきた。伏見の酒、豆腐や湯葉、茶、京友禅など、京都の文化はこの地下水と深く結びついている。

京都御所の猿ヶ辻
京都御所・猿ヶ辻 / Wikimedia Commons
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京都御所は、鬼門だけ角がへこんでいる

京都御所の北東角へ行くと、築地塀が直角に曲がらず、内側へ一段へこんでいる。北東は鬼が出入りするとされた鬼門。角を消すことで鬼門を避けたとされる。

さらに塀の上には、烏帽子をかぶり御幣を担いだ猿の木像が置かれている。この場所が猿ヶ辻だ。

幕末の1863年には、公家の姉小路公知がこの付近で暗殺された「猿ヶ辻の変」も起きた。

祇園祭の山鉾
祇園祭の山鉾 / Wikimedia Commons
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祇園祭は、疫病と怨霊を鎮めるところから始まった

豪華な山鉾が京都の中心を進む祇園祭。その始まりにあるのは、夏の観光イベントではなく疫病だった。

京都市の解説では、平安時代の人々は、非業の死を遂げた人の霊が疫神となって病を広げると考えていた。863年に神泉苑で御霊会が行われ、869年には悪疫を鎮めるため、当時の国の数に合わせて66本の矛を立て、祇園社から神輿を送ったと伝わる。

いま目にする華やかな山鉾は、その後、町衆の力によって形づくられていった。

六道珍皇寺
六道珍皇寺 / Wikimedia Commons
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六道珍皇寺には、「冥土通いの井戸」がある

東山の六道珍皇寺は、平安時代の葬送地・鳥辺野へ向かう道筋にあり、この一帯は「六道の辻」と呼ばれた。現世と冥界の境と考えられてきた場所だ。

ここに残るのが、小野篁が冥土へ通うために使ったとされる井戸。篁は昼は朝廷に仕え、夜になると井戸から冥界へ下り、閻魔大王のもとで働いたという伝説を持つ。

寺には閻魔大王像と小野篁像も祀られている。

一条戻橋
一条戻橋 / Wikimedia Commons
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死者が戻った橋で、渡辺綱は鬼の腕を斬った

堀川に架かる一条戻橋。名前の由来からして普通ではない。

918年、三善清行の葬列が橋を通ったとき、熊野から戻った息子・浄蔵が棺にすがって祈ると、父が一時蘇生したという。そこから「戻橋」と呼ばれるようになったと伝わる。

別の伝説では、源頼光の四天王・渡辺綱がこの橋で美しい女に化けた鬼と出会い、太刀で腕を斬り落とす。

天橋立
天橋立 / Wikimedia Commons
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天橋立は、神様が落としたハシゴだった?

日本三景のひとつ、天橋立。細長い砂州が宮津湾を横切る景色は、昔から「天に架かる橋」に見立てられてきた。

伝承では、イザナギが天と地を行き来するために使っていた梯子が倒れ、そのまま天橋立になったとされる。観光名物の「股のぞき」も、天地を逆さに見ることで、砂州を空へ伸びる橋のように見せる。

京都府北部まで足を延ばすと、都の鬼門や冥界だけでなく、国生み神話につながる景色まで残っている。

SPECIAL COLLECTION

京都の企業・ブランドコレクション

京都で生まれた企業を中心に、京都ゆかりの企業・ブランドを創業地とともに紹介。

01

任天堂

1889年、京都で花札製造を始めた遊びの会社。世界のゲーム企業へ発展。

02

京セラ

1959年、京都市で京都セラミックとして創業。ファインセラミックスから事業を広げた。

03

オムロン

1933年に大阪で立石電機として創業。現在の本社は京都で、自動制御技術を磨いてきた。

04

天下一品

1971年、京都・北白川で屋台として始まった「こってり」ラーメンのブランド。

05

島津製作所

1875年、京都木屋町二条で理化学器械の製造を開始した分析・計測機器の老舗。

06

ワコール

1946年、京都で事業を開始。女性の身体と美を支える商品を展開する。

07

ローム

1958年、京都で設立された東洋電具製作所を起点とする半導体メーカー。

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ニデック

1973年、京都市西京区で日本電産として創業。精密小型モーターから世界へ広がった。

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村田製作所

1944年、京都の町工場で創業。セラミックコンデンサなど電子部品を開発。

10

SCREEN

京都の石版印刷所をルーツに、1943年に大日本スクリーン製造として設立。

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タカラ酒造

1842年、京都・伏見の酒造りを起源とする宝グループ。現・宝酒造につながる。

12

餃子の王将

1967年、京都四条大宮の1号店から始まった大衆中華チェーン。

10

京都府民をランキングで雑に見る

全国1位

1

国宝の建造物数

「さすが1000年の都」

京都府:81棟 / 全国1位
1

牛肉の年間支出

「精進料理の街じゃなかった?」

京都市 / 家計調査 2023〜2025年平均
1

中華食の年間支出

「それは意外」

京都市 / 家計調査 2023〜2025年平均

京都は、表に見えないものを残す。

本能寺が移れば「元本能寺」という町名が残り、秀吉が町を囲めば「洛中」「洛外」と出入口の名が残る。御所の鬼門は塀の形に刻まれ、六道の辻では現世と冥界の境が語られ、一条戻橋には生と死をまたぐ話が残った。

さらに地下には琵琶湖に迫る水盆があり、北へ行けば神様の梯子とされた天橋立がある。京都は、地上に見えている寺社や町並みだけでは終わらない。

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