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「幕府に端へ追いやられた」だけでは説明できない
「幕府に端へ追いやられた」だけでは説明できないを、「端へ追いやられた城」ではない。三角州と指月山を選んだ毛利の城づくりの中の具体的な場面として見ます。 関ヶ原の戦い後、毛利輝元は新たな居城地を選ぶ必要に迫られました。候補は山口の高嶺、防府の桑山、萩の指月山。毛利側は第一候補として桑山を挙げながら、石垣を築きにくいなどの難点も幕府へ説明し、その後に指月山を候補として示しました。幕府は指月山を適地として推奨します。 萩市観光協会の解説では、近年の研究として、毛利側が幕府に指月山を勧めさせるよう誘導した可能性も紹介されています。つまり「不便な場所へ一方的に押し込められた」と言い切るより、候補地交渉のなかで指月山が選ばれていった、と見る方が実態に近いのです。
Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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