大多喜城

おおたきじょう

大多喜城

Photo: Σ64 / CC BY 3.0 / https://creativecommons.org/licenses/by/3.0/ / https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Otaki_Castle_02.jpg

生涯無傷の武将・本多忠勝に与えられた「最前線の盾」。大多喜城の底知らずの井戸とメキシコの奇縁

生涯57回の合戦で一度も傷を負わなかった徳川四天王・本多忠勝。彼が築いた千葉県の大多喜城には、信じられないほど深い「底知らずの井戸」があります。実はここ、家康から「安房の里見氏を防ぐための絶対的な盾」として任された最前線の要塞でした。無敵の武将が泥臭く守り抜いた、房総の軍事拠点のリアルをご案内します。

基本情報

名称
大多喜城
読み
おおたきじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481
築城時期
大永元年(1521年) 真里谷信清による(のち本多忠勝が改修)
築城者
真里谷信清
現在の城郭
現在も本丸跡にその井戸の跡が残されています。
文化財・指定
記事本文に文化財・指定情報の明記なし

01

最強の武将を配置した家康の「里見対策」

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命によって徳川家康が関東に入国した際、家康は最も信頼する最強の武将・本多忠勝に、なんと十万石もの大封を与えてこの大多喜城に配置しました。 なぜ辺境の地にエースを置いたのでしょうか。それは、房総半島の南(安房国)に、かつて北条氏と互角に渡り合った強力な海洋大名「里見氏」が健在だったからです。 家康にとって里見氏は、いつ江戸の背後を突いてくるか分からない最大の脅威でした。そこで家康は、里見氏が江戸へ向かうルートの要衝である大多喜に、絶対に負けない「本多忠勝」という最強の盾を置くことで、江戸の安全を確保したのです。忠勝は城を大規模に改修し、里見氏の侵攻を完璧にブロックする強固な要塞を築き上げました。

最強の武将を配置した家康の「里見対策」

02

枯れることのない「底知らずの井戸」

山城である大多喜城の弱点は「水」です。しかし、忠勝が整備したこの城には「底知らずの井戸」と呼ばれる巨大な井戸がありました。 伝説によれば、どれだけ水を汲み上げても決して水位が下がらず、日照り続きの年でも枯れることがなかったと言われています。井戸の底には水神が住んでいる、あるいは抜け穴になっているという噂まで囁かれました。 実際にこの井戸は非常に深く水量が豊富であったため、万が一里見氏の大軍に包囲されて籠城戦になったとしても、水不足で落城することは絶対にないという、最強の武将の徹底したリスクヘッジの証拠でもあります。現在も本丸跡にその井戸の跡が残されています。

枯れることのない「底知らずの井戸」

03

メキシコとの奇妙な外交ルートを開いた城

大多喜城の歴史を語る上で欠かせない、もう一つの面白いエピソードがあります。忠勝の息子・本多忠朝(ただとも)が城主だった慶長14年(1609年)のことです。 フィリピンの臨時総督であったドン・ロドリゴ率いるスペインの帆船が、大多喜領内(現在の御宿町)の海岸で嵐のために座礁してしまいました。地元の海女たちが遭難者たちを献身的に救助し、知らせを受けた忠朝は、彼らを大多喜城へ招き入れて手厚くもてなしました。 その後、彼らは江戸で家康に謁見し、無事にメキシコ(当時のヌエバ・エスパーニャ)へ帰国することができました。これがきっかけとなり、日本とメキシコとの間に友好的な外交関係が生まれたのです。戦うための最前線の要塞が、国際交流と人命救助の心温まる舞台となったという、大多喜城の隠れた名エピソードです。

メキシコとの奇妙な外交ルートを開いた城

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