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徳川軍をわざと招き入れる!神がかった「空城の計」
1585年の第一次上田合戦。真田昌幸はわずか2,000の兵で、7,000の徳川軍を迎え撃ちました。 この時、昌幸はわざと城の門を開け放ち、敵を城下町や城内へ深く誘い込みます。徳川軍が「勝った!」と油断して突っ込んだ瞬間、隠れていた真田兵が一斉に鉄砲や弓矢で奇襲。 パニックになって逃げ惑う敵に対し、あらかじめせき止めていた川の堤防をぶち壊して鉄砲水を見舞うという、映画さながらのコンボトラップで大軍をボコボコにしました。


うえだじょう
上田城
Photo: Yamaguchi Yoshiaki from Japan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
長野県にある上田城といえば、真田昌幸・幸村(信繁)親子が天下人・徳川家康の大軍を二度も撃退したことで知られる「日本一の難攻不落城」です。しかし、実はその強さの裏には巧妙すぎる罠や、伝説の抜け道、さらに明治時代には城の一部が「遊郭」に身売りされたという驚きの歴史がありました。
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1585年の第一次上田合戦。真田昌幸はわずか2,000の兵で、7,000の徳川軍を迎え撃ちました。 この時、昌幸はわざと城の門を開け放ち、敵を城下町や城内へ深く誘い込みます。徳川軍が「勝った!」と油断して突っ込んだ瞬間、隠れていた真田兵が一斉に鉄砲や弓矢で奇襲。 パニックになって逃げ惑う敵に対し、あらかじめせき止めていた川の堤防をぶち壊して鉄砲水を見舞うという、映画さながらのコンボトラップで大軍をボコボコにしました。

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上田城の本丸跡には、「真田井戸」と呼ばれる巨大な井戸が残っています。 普通の井戸は水を汲むためのものですが、この井戸には「地下に巨大なトンネルが掘られており、城の北側にある太郎山まで繋がっている」という伝説があります。 徳川軍に城を完全に包囲されても、真田の忍者たちがこの抜け穴を使って密かに兵糧を運び込み、敵の情報を集めていたと言われています。真田のミステリアスな強さを象徴するロマンあふれる伝説です。 ※「真田井戸」の抜け穴は、真田十勇士などの忍術伝説と結びついて後世に広まった伝承です。

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難攻不落を誇った上田城ですが、明治時代の廃城令で最大の危機を迎えます。 なんと城が民間に払い下げられ、敷地内の立派な櫓(やぐら)が2棟丸ごと取り壊され、地元の「遊郭(赤線地帯)」に売り飛ばされてしまったのです。 かつての武士の誇りが、遊女屋の建物として使われるという屈辱。しかし昭和に入り、「上田のシンボルを取り戻そう!」と市民が寄付を集め、遊郭から櫓を買い戻して城跡に再移築しました。 現在私たちが美しい姿を見られるのは、上田市民の執念のおかげなのです。
Suikotei / https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ueda_Castle_South_Turret.jpg / CC BY-SA 4.0SAME CATALOG