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最初の天守は、落雷のあと焼失した
弘前城の最初の天守は五層でしたが、1627年に焼失しました。現在残る三層の天守は1810年に建てられたものです。再建時の正式な扱いは「御三階櫓」。現在は現存12天守の一つとして知られています。ここは「幕府をだました」と断定するより、天守を失ってから約180年後に三層櫓が建ったという時間差そのものが面白い城です。


ひろさきじょう
弘前城
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弘前城を、天守が70メートル引っ越した。しかも今はまだ仮住まいという切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。
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弘前城の最初の天守は五層でしたが、1627年に焼失しました。現在残る三層の天守は1810年に建てられたものです。再建時の正式な扱いは「御三階櫓」。現在は現存12天守の一つとして知られています。ここは「幕府をだました」と断定するより、天守を失ってから約180年後に三層櫓が建ったという時間差そのものが面白い城です。

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弘前城天守は、外側からよく見える東・南面に破風などの装飾があります。一方、本丸側から見る面は比較的簡素です。同じ建物なのに、見る方向を変えると印象まで変わる。現在の仮位置では、普段とは違う角度から天守を観察できるのも特徴です。
Photo: Yamaguchi Yoshiaki / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.003
本丸東面の石垣修理のため、弘前市は2015年に天守を曳屋しました。建物を解体するのではなく、そのまま持ち上げて仮天守台まで移動させる工事です。移動距離は約70メートル。現存天守が、本来の石垣から離れて本丸内に立つという珍しい状態になりました。城を直すために、城を動かす。 現在の弘前城は、文化財を残しながら修理する現場そのものが見どころになっています。
Photo: 掬茶 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0SAME CATALOG