宇都宮城

うつのみやじょう

宇都宮城

Photo: kamoseiro / CC BY-SA 3.0 / https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/ / https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Utsunomiya-jo_fujimi-yagura.jpg

将軍暗殺の「釣天井」はフェイクニュースだった。日光詣のVIPホテルとして栄えた宇都宮城の栄光と転落

宇都宮城を、将軍暗殺の「釣天井」はフェイクニュースだった。日光詣のVIPホテルとして栄えた宇都宮城の栄光と転落という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
宇都宮城
読み
うつのみやじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
栃木県宇都宮市本丸町
築城時期
平安時代後期(藤原宗円による伝承)
築城者
藤原宗円
現在の城郭
宇都宮城 栃木県宇都宮市の中心部に、復元された美しい土塁と櫓(やぐら)がそびえる宇都宮城。
文化財・指定
記事本文に文化財・指定情報の明記なし

01

落ちてこなかった「釣天井」の陰謀

落ちてこなかった「釣天井」の陰謀を、将軍暗殺の「釣天井」はフェイクニュースだった。日光詣のVIPホテルとして栄えた宇都宮城の栄光と転落の中の具体的な場面として見ます。 江戸時代初期の元和8年(1622年)。宇都宮城主であった本多正純(ほんだまさずみ)は、徳川家康の側近として権勢を振るった大物です。 ある時、2代将軍・徳川秀忠が日光東照宮へお参りする途中、宇都宮城に宿泊することになりました。この時、「正純は将軍の寝室の天井に細工をし、夜中に天井を落下させて将軍を圧死させようとしている」という密告が幕府に入りました。これが世に言う「宇都宮城釣天井事件」です。 結果として秀忠は宇都宮城への宿泊を急遽キャンセルし、正純は領地を没収されて島流し(改易)となってしまいました。講談や歌舞伎の題材として大ヒットしたこの事件ですが、後の調査で宇都宮城に釣天井の仕掛けなど一切存在しなかったことが判明しています。これは、正純の権力を疎ましく思った幕府内の政敵(土井利勝ら)が流した、悪質な「フェイクニュース(捏造)」だったのです。

落ちてこなかった「釣天井」の陰謀Photo: Miyuki Meinaka / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

02

将軍専用の「超高級VIPホテル」だった

将軍専用の「超高級VIPホテル」だったを、将軍暗殺の「釣天井」はフェイクニュースだった。日光詣のVIPホテルとして栄えた宇都宮城の栄光と転落の中の具体的な場面として見ます。 本多正純は罠にはめられて失脚しましたが、彼が宇都宮城を大改修した理由は「暗殺」のためではなく、「将軍を最高のおもてなしで迎えるため」でした。 江戸から日光東照宮へ向かう「日光街道」において、宇都宮城は距離的にちょうど将軍が宿泊するのに最適な場所にありました。歴代の徳川将軍が日光へ参拝する(日光社参)際、宇都宮城の本丸には将軍しか立ち入ることができない豪華な「御成御殿(おなりごてん)」が用意されていました。 つまり、江戸時代の宇都宮城は、単なる軍事要塞ではなく、将軍家専用の「超高級VIPホテル」としての役割が最も重要だったのです。本丸の豪華な施設を維持するため、宇都宮藩は常に莫大な出費を強いられていたと言われています。

将軍専用の「超高級VIPホテル」だったPhoto: Miyuki Meinaka / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

戊辰戦争で燃え落ちた悲劇の城

戊辰戦争で燃え落ちた悲劇の城を、将軍暗殺の「釣天井」はフェイクニュースだった。日光詣のVIPホテルとして栄えた宇都宮城の栄光と転落の中の具体的な場面として見ます。 将軍のホテルとして栄華を極めた宇都宮城ですが、幕末の「戊辰戦争(宇都宮城の戦い)」において致命的な破壊を受けます。 慶応4年(1868年)、新政府軍が守る宇都宮城に対し、土方歳三ら率いる旧幕府軍が猛烈な攻撃を仕掛けました。城下町は火の海となり、激しい攻防戦の末に城の建物の大半が焼失してしまいました。 その後、市街地の開発によって堀も埋め立てられ、城の痕跡はほとんど失われてしまいましたが、平成19年(2007年)に市民の熱意によって本丸の一部(土塁や櫓)が見事に復元されました。フェイクニュースに翻弄され、戦火に焼かれた宇都宮城は、市民の憩いの場として現代に蘇ったのです。

戊辰戦争で燃え落ちた悲劇の城Photo: Miyuki Meinaka / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事

会津若松城(鶴ヶ城)
あいづわかまつじょう(つるがじょう)

会津若松城(鶴ヶ城)

白虎隊の物語だけでは終わらない。会津若松城は、戊辰戦争の籠城戦と、その後に記憶が組み替えられた過程を一緒に読む場所だ。

足利氏館(鑁阿寺)
あしかがしやかた(ばんなじ)

足利氏館(鑁阿寺)

高石垣や天守を想像すると見落とす。足利氏館は寺院のような堀と土塁の中に、武家の居館と信仰が重なった中世を残す。

安土城
あづちじょう

安土城

織田信長が築いた規格外の城。日本で初めて「天守」を持った革命的な城は、完成からわずか3年で謎の炎に包まれ、歴史から姿を消した。

備中松山城
びっちゅうまつやまじょう

備中松山城

現存天守の希少さだけでなく、標高の高い山頂で曲輪と石垣をつないだ構造に注目する。備中松山城は景色ではなく地形の使い方を見せる。

備中高松城
びっちゅうたかまつじょう

備中高松城

豊臣秀吉は備中高松城を力攻めせず、全長約3キロの堤防で水を囲った。戦国の勝敗を変えた「地形の兵器」を読む。

千早城
ちはやじょう

千早城

10万の幕府軍を、たった1000人で撃退! 熱湯、うんこ、そして「藁人形」。楠木正成が仕掛けた、日本史上最もえげつない籠城戦。

江戸城
えどじょう

江戸城

将軍のお膝元、日本最大の城郭。しかしそのシンボルである「天守閣」は、江戸時代のほとんどの期間、存在していなかった!?

福山城
ふくやまじょう

福山城

白い城なのに、北面だけ黒い。右は福山城天守の写真です。

岐阜城
ぎふじょう

岐阜城

山頂だけ見て帰ると、半分しか見えない。右の写真は金華山の山麓にある織田信長の居館跡です。

五稜郭
ごりょうかく

五稜郭

五稜郭は美しい星形だから作られたのではない。砲撃戦の死角を消すための設計と、実戦で露呈した弱点を読む。

郡上八幡城
ぐじょうはちまんじょう

郡上八幡城

東京のオシャレな街「青山」の名前の由来は、岐阜のこのお城だった!? さらに、日本で一番古い「木造で再建されたお城」という意外な記録も。

萩城
はぎじょう

萩城

「幕府に端へ追いやられた」だけでは説明できない。関ヶ原の戦い後、毛利輝元は新たな居城地を選ぶ必要に迫られました。

彦根城
ひこねじょう

彦根城

国宝なのに、材料は周辺の城から集めた。彦根城は、関ヶ原の戦いの後、西国をおさえる重要な城として築かれました。

姫路城
ひめじじょう

姫路城

最強要塞なのに本番ほぼなし。しかも足元にはペンギン

弘前城
ひろさきじょう

弘前城

石垣修理のため、現存天守を解体せず約70m移動。弘前城の現在進行形の大工事を見る。

広島城
ひろしまじょう

広島城

「鯉城(りじょう)」の愛称で親しまれる名城。大雨で壊れた城を直しただけで「クビ」になった大名の悲劇と、近代広島のインフラを創った浅野家武士たちのドラマ。

伊賀上野城
いがうえのじょう

伊賀上野城

約30メートルの高石垣を持つ伊賀上野城は、天守完成直前に台風で大損害を受けた。未完だからこそ残った城の物語。

今治城
いまばりじょう

今治城

今治城は、堀に海水が入り、船で出入りできた海城だ。城と港を一体化した藤堂高虎の設計を歩く。

犬山城
いぬやまじょう

犬山城

2004年まで個人所有。最上階では国宝の外周を歩けて、屋根には桃までいる。犬山城の意外な一面。

岩国城
いわくにじょう

岩国城

築城から7年で破却。昭和の再建では旧天守台から約50m移動した岩国城の、二つの「天守位置」を見る。

金沢城
かなざわじょう

金沢城

天守が消えたあとも、城は止まらなかった。金沢城には天守がありません。

川越城(河越城)
かわごえじょう(かわごえじょう)

川越城(河越城)

8万vs8千。日本三大夜戦「川越夜戦」の舞台。江戸時代の平和なイメージが強い川越城ですが、戦国時代には「日本三大夜戦」の一つに数えられる。

高知城
こうちじょう

高知城

天守だけでなく本丸御殿など本丸建物群が現存。壁には忍び返し、石垣には雨を逃がす石樋。高知城の実用的すぎる工夫を見る。

小倉城
こくらじょう

小倉城

最上階が、その下の階より外へ張り出す。右の写真で天守上部を見ると、最上階がその下の階より外側へ張り出していることが分かります。

熊本城
くまもとじょう

熊本城

1877年、本当に50日あまり籠城した。1877年の西南戦争で、熊本城には谷干城率いる熊本鎮台兵約3、500人が籠城し、薩摩軍約13。

丸亀城
まるがめじょう

丸亀城

日本一高い石垣が、山頂の小さな天守を巨大に見せる。丸亀城を「石垣が主役の城」として歩く。

松江城
まつえじょう

松江城

天守の中に井戸、桐の階段、そして国宝指定の決め手となった祈祷札。松江城の本気すぎる籠城仕様を見る。

松本城
まつもとじょう

松本城

ガチ要塞に「お月見部屋」をくっつけた。松本城の大天守は、かなり本気です。

松山城
まつやまじょう

松山城

現在の天守が完成したころ、日本には黒船が来ていた。松山城の現在の大天守は、江戸時代末期に再建されたものです。

名古屋城
なごやじょう

名古屋城

石垣は、西国など20大名の分担工事だった。名古屋城の築城は、徳川家康の命による大規模な公儀普請でした。

二条城
にじょうじょう

二条城

二条城の主役は失われた天守ではない。大政奉還の舞台、狩野派の絵、鶯張りの床から将軍の権威を読む。

小田原城
おだわらじょう

小田原城

天守だけでは、小田原城の大きさは分からない。戦国期の小田原城は、現在の城址公園だけではありません。

岡山城
おかやまじょう

岡山城

漆黒の「烏城」岡山城。大河を曲げた驚愕の防衛策や築城者・宇喜多秀家の悲運など、波乱に満ちた歴史をご紹介。

大阪城(大坂城)
おおさかじょう

大阪城(大坂城)

秀吉の城は、いまの地面の下にある。「大阪城=豊臣秀吉の城」。

大多喜城
おおたきじょう

大多喜城

生涯57回の合戦で一度も傷を負わなかった徳川四天王・本多忠勝。彼が築いた千葉県の大多喜城には、信じられないほど深い「底知らずの井戸」があります。実はここ、家康から「安房の里見氏を防ぐための絶対的な盾」として任された最前線の要塞でした。無敵の武将が泥臭く守り抜いた、房総の軍事拠点のリアルをご案内します。

逆井城
さかさいじょう

逆井城

北条氏が築いた「対・佐竹」の最前線要塞。もともとこの地を治めていた逆井氏の居城でしたが、戦国時代後期の天正5年(1577年)。

新発田城
しばたじょう

新発田城

屋根の上にシャチホコが「3匹」も乗っている日本唯一の城。しかも、お城の中心部が自衛隊の駐屯地の中にあって一般人は立ち入れない!?

白河小峰城
しらかわこみねじょう

白河小峰城

東日本大震災で石垣が崩壊。しかし「崩れた石に番号を振り、7000個以上の石を元の場所へピタリと戻す」という、奇跡の巨大パズルで完全復活を果たした!

高松城
たかまつじょう

高松城

堀の水は、海水である。右の写真は高松城の櫓と堀です。

館山城
たてやまじょう

館山城

滝沢馬琴の不朽の名作『南総里見八犬伝』の舞台として知られる千葉県の館山城。山頂にそびえる立派な天守閣は、実は「八犬伝」の世界観に合わせて昭和に建てられたお城風の博物館です。しかし、フィクションの影に隠れた現実の里見氏は、東京湾を支配した恐るべき「海賊大名」でした。

上田城
うえだじょう

上田城

真田昌幸は、城門を閉じて守る常識を逆転した。敵を城下へ誘い込み、道と川で分断した上田城の防御を読む。

宇和島城
うわじまじょう

宇和島城

四角く見えて、実は五角形だった。宇和島城は藤堂高虎が大規模に整備した城です。