館山城

たてやまじょう

館山城

今の天守閣は「八犬伝」のための博物館? 東京湾を支配した海賊大名・里見氏のリアルな館山城

館山城を、今の天守閣は「八犬伝」のための博物館? 東京湾を支配した海賊大名・里見氏のリアルな館山城という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
館山城
読み
たてやまじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
千葉県館山市館山351-2(城山公園内)
築城時期
天正8年(1580年) 里見義頼による
築城者
里見義頼
現在の城郭
しかし、私たちが現在見上げているあの立派な天守閣は、戦国時代のオリジナルではありません。
文化財・指定
記事本文に文化財・指定情報の明記なし

01

今の天守閣は「八犬伝」のために建てられた

今の天守閣は「八犬伝」のために建てられたを、今の天守閣は「八犬伝」のための博物館? 東京湾を支配した海賊大名・里見氏のリアルな館山城の中の具体的な場面として見ます。 館山城の山頂に建つ3層4階の立派な天守閣。実はこれ、昭和57年(1982年)に建てられた「模擬天守(お城の形をした博物館)」です。外観は、愛知県の犬山城などをモデルにして設計されました。 実際の戦国〜江戸時代初期の館山城に、これほど立派な天守閣が存在したという記録や証拠はありません。館山市が『南総里見八犬伝』の歴史的ロマンを観光に活かすため、八犬伝に関する資料を展示する「館山市立博物館分館」として、あえてお城の形をした建物を建てたのです。現在、内部では滝沢馬琴の資料や八犬伝の錦絵などが展示され、ファンにとってはたまらない聖地となっています。

今の天守閣は「八犬伝」のために建てられたPhoto: みゃー / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

02

現実の里見氏は「最強の海賊大名」だった

現実の里見氏は「最強の海賊大名」だったを、今の天守閣は「八犬伝」のための博物館? 東京湾を支配した海賊大名・里見氏のリアルな館山城の中の具体的な場面として見ます。 小説の『八犬伝』では、犬の霊力を持った8人の剣士が活躍するファンタジーが描かれますが、現実の里見氏は全く違う強さを持っていました。彼らは「水軍(海賊)」を操る東京湾の覇者だったのです。 館山城は、東京湾の入り口(浦賀水道)を見下ろす絶好のロケーションにあります。里見氏はこの城を拠点に強力な水軍を編成し、対岸の三浦半島や江戸湾の海上交通を完全にコントロールしていました。あの小田原の北条氏でさえ、里見氏の水軍には何度も煮え湯を飲まされ、海からの攻撃に恐怖しました。 館山城は、陸上の戦いだけでなく、海からの敵を監視し、自らの艦隊を指揮するための「巨大な海の要塞」だったのです。

現実の里見氏は「最強の海賊大名」だったPhoto: Xser21 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

03

跡形もなく壊された悲劇の改易

跡形もなく壊された悲劇の改易を、今の天守閣は「八犬伝」のための博物館? 東京湾を支配した海賊大名・里見氏のリアルな館山城の中の具体的な場面として見ます。 関東で強大な勢力を誇った里見氏ですが、江戸幕府が開かれると、その強すぎる海軍力と独自の勢力が徳川家康に警戒されるようになります。 慶長19年(1614年)、大久保長安事件などの政治闘争に巻き込まれる形で、最後の当主・里見忠義(ただよし)は突然、幕府から領地を没収(改易)され、遠く離れた鳥取県の倉吉へ流刑となってしまいました。 この時、江戸の喉元にある危険な海の要塞・館山城は、幕府の命令によって徹底的に破壊されました(破城)。建物はおろか、石垣や土塁に至るまで完膚なきまでに壊され、城の痕跡はほとんど消し去られてしまったのです。 現実の歴史で悲劇的な最期を遂げたからこそ、滝沢馬琴は彼らをモデルに、無敵の剣士たちが大活躍する痛快なフィクション『南総里見八犬伝』を書き上げ、庶民の喝采を浴びたのかもしれません。

跡形もなく壊された悲劇の改易

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事

会津若松城(鶴ヶ城)
あいづわかまつじょう(つるがじょう)

会津若松城(鶴ヶ城)

白虎隊の物語だけでは終わらない。会津若松城は、戊辰戦争の籠城戦と、その後に記憶が組み替えられた過程を一緒に読む場所だ。

足利氏館(鑁阿寺)
あしかがしやかた(ばんなじ)

足利氏館(鑁阿寺)

高石垣や天守を想像すると見落とす。足利氏館は寺院のような堀と土塁の中に、武家の居館と信仰が重なった中世を残す。

安土城
あづちじょう

安土城

織田信長が築いた規格外の城。日本で初めて「天守」を持った革命的な城は、完成からわずか3年で謎の炎に包まれ、歴史から姿を消した。

備中松山城
びっちゅうまつやまじょう

備中松山城

現存天守の希少さだけでなく、標高の高い山頂で曲輪と石垣をつないだ構造に注目する。備中松山城は景色ではなく地形の使い方を見せる。

備中高松城
びっちゅうたかまつじょう

備中高松城

豊臣秀吉は備中高松城を力攻めせず、全長約3キロの堤防で水を囲った。戦国の勝敗を変えた「地形の兵器」を読む。

千早城
ちはやじょう

千早城

10万の幕府軍を、たった1000人で撃退! 熱湯、うんこ、そして「藁人形」。楠木正成が仕掛けた、日本史上最もえげつない籠城戦。

江戸城
えどじょう

江戸城

将軍のお膝元、日本最大の城郭。しかしそのシンボルである「天守閣」は、江戸時代のほとんどの期間、存在していなかった!?

福山城
ふくやまじょう

福山城

白い城なのに、北面だけ黒い。右は福山城天守の写真です。

岐阜城
ぎふじょう

岐阜城

山頂だけ見て帰ると、半分しか見えない。右の写真は金華山の山麓にある織田信長の居館跡です。

五稜郭
ごりょうかく

五稜郭

五稜郭は美しい星形だから作られたのではない。砲撃戦の死角を消すための設計と、実戦で露呈した弱点を読む。

郡上八幡城
ぐじょうはちまんじょう

郡上八幡城

東京のオシャレな街「青山」の名前の由来は、岐阜のこのお城だった!? さらに、日本で一番古い「木造で再建されたお城」という意外な記録も。

萩城
はぎじょう

萩城

「幕府に端へ追いやられた」だけでは説明できない。関ヶ原の戦い後、毛利輝元は新たな居城地を選ぶ必要に迫られました。

彦根城
ひこねじょう

彦根城

国宝なのに、材料は周辺の城から集めた。彦根城は、関ヶ原の戦いの後、西国をおさえる重要な城として築かれました。

姫路城
ひめじじょう

姫路城

最強要塞なのに本番ほぼなし。しかも足元にはペンギン

弘前城
ひろさきじょう

弘前城

石垣修理のため、現存天守を解体せず約70m移動。弘前城の現在進行形の大工事を見る。

広島城
ひろしまじょう

広島城

「鯉城(りじょう)」の愛称で親しまれる名城。大雨で壊れた城を直しただけで「クビ」になった大名の悲劇と、近代広島のインフラを創った浅野家武士たちのドラマ。

伊賀上野城
いがうえのじょう

伊賀上野城

約30メートルの高石垣を持つ伊賀上野城は、天守完成直前に台風で大損害を受けた。未完だからこそ残った城の物語。

今治城
いまばりじょう

今治城

今治城は、堀に海水が入り、船で出入りできた海城だ。城と港を一体化した藤堂高虎の設計を歩く。

犬山城
いぬやまじょう

犬山城

2004年まで個人所有。最上階では国宝の外周を歩けて、屋根には桃までいる。犬山城の意外な一面。

岩国城
いわくにじょう

岩国城

築城から7年で破却。昭和の再建では旧天守台から約50m移動した岩国城の、二つの「天守位置」を見る。

金沢城
かなざわじょう

金沢城

天守が消えたあとも、城は止まらなかった。金沢城には天守がありません。

川越城(河越城)
かわごえじょう(かわごえじょう)

川越城(河越城)

8万vs8千。日本三大夜戦「川越夜戦」の舞台。江戸時代の平和なイメージが強い川越城ですが、戦国時代には「日本三大夜戦」の一つに数えられる。

高知城
こうちじょう

高知城

天守だけでなく本丸御殿など本丸建物群が現存。壁には忍び返し、石垣には雨を逃がす石樋。高知城の実用的すぎる工夫を見る。

小倉城
こくらじょう

小倉城

最上階が、その下の階より外へ張り出す。右の写真で天守上部を見ると、最上階がその下の階より外側へ張り出していることが分かります。

熊本城
くまもとじょう

熊本城

1877年、本当に50日あまり籠城した。1877年の西南戦争で、熊本城には谷干城率いる熊本鎮台兵約3、500人が籠城し、薩摩軍約13。

丸亀城
まるがめじょう

丸亀城

日本一高い石垣が、山頂の小さな天守を巨大に見せる。丸亀城を「石垣が主役の城」として歩く。

丸岡城
まるおかじょう

丸岡城

最古の天守という伝説を調べると、物語は地震で崩れた城の再建へ続く。丸岡城を、古材を活かして蘇った城として読む。

松江城
まつえじょう

松江城

天守の中に井戸、桐の階段、そして国宝指定の決め手となった祈祷札。松江城の本気すぎる籠城仕様を見る。

松本城
まつもとじょう

松本城

ガチ要塞に「お月見部屋」をくっつけた。松本城の大天守は、かなり本気です。

松山城
まつやまじょう

松山城

現在の天守が完成したころ、日本には黒船が来ていた。松山城の現在の大天守は、江戸時代末期に再建されたものです。

名古屋城
なごやじょう

名古屋城

石垣は、西国など20大名の分担工事だった。名古屋城の築城は、徳川家康の命による大規模な公儀普請でした。

二条城
にじょうじょう

二条城

二条城の主役は失われた天守ではない。大政奉還の舞台、狩野派の絵、鶯張りの床から将軍の権威を読む。

小田原城
おだわらじょう

小田原城

天守だけでは、小田原城の大きさは分からない。戦国期の小田原城は、現在の城址公園だけではありません。

岡山城
おかやまじょう

岡山城

漆黒の「烏城」岡山城。大河を曲げた驚愕の防衛策や築城者・宇喜多秀家の悲運など、波乱に満ちた歴史をご紹介。

岡崎城
おかざきじょう

岡崎城

徳川家康が生まれた神聖なお城!誕生を祝って金の龍が飛んだ伝説や、城主になるのは名誉だけど実は「超ビンボー」だったという、出世城の意外な裏側に迫ります。 岡崎城|家康の誕生を「金の龍」が祝った!? 名誉だけどお財布に厳しい出世城

大阪城(大坂城)
おおさかじょう

大阪城(大坂城)

秀吉の城は、いまの地面の下にある。「大阪城=豊臣秀吉の城」。

大多喜城
おおたきじょう

大多喜城

生涯57回の合戦で一度も傷を負わなかった徳川四天王・本多忠勝。彼が築いた千葉県の大多喜城には、信じられないほど深い「底知らずの井戸」があります。実はここ、家康から「安房の里見氏を防ぐための絶対的な盾」として任された最前線の要塞でした。無敵の武将が泥臭く守り抜いた、房総の軍事拠点のリアルをご案内します。

逆井城
さかさいじょう

逆井城

北条氏が築いた「対・佐竹」の最前線要塞。もともとこの地を治めていた逆井氏の居城でしたが、戦国時代後期の天正5年(1577年)。

新発田城
しばたじょう

新発田城

屋根の上にシャチホコが「3匹」も乗っている日本唯一の城。しかも、お城の中心部が自衛隊の駐屯地の中にあって一般人は立ち入れない!?

白河小峰城
しらかわこみねじょう

白河小峰城

東日本大震災で石垣が崩壊。しかし「崩れた石に番号を振り、7000個以上の石を元の場所へピタリと戻す」という、奇跡の巨大パズルで完全復活を果たした!

高松城
たかまつじょう

高松城

堀の水は、海水である。右の写真は高松城の櫓と堀です。

上田城
うえだじょう

上田城

真田昌幸は、城門を閉じて守る常識を逆転した。敵を城下へ誘い込み、道と川で分断した上田城の防御を読む。

宇都宮城
うつのみやじょう

宇都宮城

落ちてこなかった「釣天井」の陰謀。江戸時代初期の元和8年(1622年)。

宇和島城
うわじまじょう

宇和島城

四角く見えて、実は五角形だった。宇和島城は藤堂高虎が大規模に整備した城です。