広島城

ひろしまじょう

広島城

Photo: ノボホショコロトソ / Wikimedia Commons / CC BY 4.0

「鯉城(りじょう)」の愛称で親しまれる名城。大雨で壊れた城を直しただけで「クビ」になった大名の悲劇と、近代広島のインフラを創った浅野家武士たちのドラマ。

広島城を、「鯉城(りじょう)」の愛称で親しまれる名城。大雨で壊れた城を直しただけで「クビ」になった大名の悲劇と、近代広島のインフラを創った浅野家武士たちのドラマ。という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
広島城
読み
ひろしまじょう
別名
鯉城(りじょう)
所在地
広島県広島市中区基町21-1
築城時期
天正17年(1589)、毛利輝元が築城を開始
築城者
毛利輝元
現在の城郭
石垣・堀と外観復元天守が残る史跡広島城跡
文化財・指定
史跡広島城跡・外観復元天守

01

壊れた城を直したら「クビ」になった大名

広島城の歴史を語る上で欠かせない面白い(少し可哀想な)エピソードが、江戸時代初期の城主・福島正則の「うっかり大改修事件」です。1619年、大雨による大規模な洪水で広島城の石垣や櫓が崩れてしまいました。正則はすぐさま幕府に「修理させてください」と許可を申請しましたが、返事が遅かったため、「お城が危ないからとりあえず直しちゃえ」と見切り発車で修復工事を始めてしまいます。これが徳川幕府の「武家諸法度(城の無断修理禁止)」にモロに引っかかり、激怒した幕府からお城を没収(改易)されてしまいました。真面目に直しただけなのにクビになるという、ブラック企業も青ざめる厳しい処分でした。

壊れた城を直したら「クビ」になった大名

02

「鯉城」の由来と、浅野家を支えた武士たち

福島正則のリストラ後に広島城へやってきたのが、その後250年にわたって城主を務める「浅野家」です。広島城は別名「鯉城(りじょう)」と呼ばれますが、この由来は「お堀に鯉がたくさんいたから」だけではありません。一説には、この一帯(あるいは隣接する地域)が古くから「己斐(こい)」と呼ばれていたことに由来するとも言われています。浅野家の下でこの城下町を支えたのは、高い誇りを持った藩士たちでした。中には「上り藤に剣柏」といった由緒ある家紋を背負い、代々主君に仕え続けた武士の家系も存在し、彼らの実直な働きが広島の平和な治世の土台となりました。

「鯉城」の由来と、浅野家を支えた武士たち

03

刀を置き、近代化のインフラを担った末裔たち

江戸時代が終わり、明治維新を迎えると、広島城を支えてきた武士たちも刀を置くことになります。しかし、彼らの「地域を支える」という精神は失われませんでした。武士の末裔たちの中には、新しい時代の波に乗り、社会の発展に貢献した者も少なくありません。たとえば、先述の己斐(こい)の地において「初代己斐郵便局長」を務めるなど、近代通信インフラの要として人々の生活を根底から支え続けたかつての浅野家藩士の家系もありました。広島城の歴史は、お城という巨大な建造物の歴史であると同時に、その足元で時代を生き抜いた誇り高き人々の軌跡そのものなのです。

刀を置き、近代化のインフラを担った末裔たち

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