岡山城

おかやまじょう

岡山城

Photo: Hyppolyte de Saint-Rambert / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

漆黒の烏城!大河を曲げた防衛策と築城者・宇喜多秀家の数奇な運命

黒い外観から「烏城」と呼ばれる岡山城。秀吉への忠誠を示す漆黒と黄金の天守、城を守るため川の流路を変えた驚愕の土木工事、関ヶ原に散った築城者・宇喜多秀家の切ない運命など、知られざる3つの魅力に迫ります。

基本情報

名称
岡山城
読み
おかやまじょう
別名
烏城
所在地
岡山県岡山市北区丸の内
築城時期
宇喜多秀家期に整備
築城者
宇喜多秀家
現在の城郭
1966年再建・2022年リニューアル
文化財・指定
国史跡(岡山城跡)

01

豊臣への忠誠と実用性の証明!漆黒に輝く「烏城(うじょう)」

岡山城の最大の特徴は、外壁の下見板が黒塗りであることから呼ばれる「烏城」という別名です。なぜ黒いのか?城主の宇喜多秀家は豊臣秀吉の寵愛を受けた大名で、当時の豊臣政権下で流行していた黒い城のスタイルを忠実に踏襲しました。この黒色は防腐・防水効果のある柿渋や煤(すす)を塗ったためという実用的な理由もあります。さらに、築城当時は瓦に金箔が押された「金烏城(きんうじょう)」でもありました。太陽の光を浴びて黒い壁に黄金の瓦が輝くその姿は、宇喜多家の圧倒的な財力と、秀吉に対する絶対的な忠誠心を世に見せつける最高のモニュメントだったのです。

豊臣への忠誠と実用性の証明!漆黒に輝く「烏城(うじょう)」

02

城を守るため川をねじ曲げる!規格外の「旭川の大改修」

岡山城の東側には、巨大な堀の代わりに雄大な旭川が流れています。実はこれ、自然の川ではありません。宇喜多直家・秀家父子が城の防衛力を高めるため、もともと別の場所を流れていた大河・旭川の流路を人工的にねじ曲げ、城の東側をU字型に囲むように大改造して天然の巨大な堀にしてしまったのです。この規格外の土木工事により城の防御力は飛躍的に向上しました。しかし、大河を無理やり曲げた代償は大きく、大雨のたびに水がせき止められて城下町が水没するという副作用を生みました。強固な防衛機構が、同時に領民を悩ませる水害の引き金にもなったという、なんとも皮肉な大事業です。

城を守るため川をねじ曲げる!規格外の「旭川の大改修」

03

築城者の悲しき運命…「完成直後に城を追われた宇喜多秀家」

8年もの歳月と莫大な労力をつぎ込み、1597年にこの壮麗な岡山城と広大な城下町を完成させた宇喜多秀家。しかし、その栄華は一瞬で散ることになります。完成からわずか3年後の1600年、関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦った秀家は敗北。所領を全て没収され、絶海の孤島・八丈島へと流罪になってしまったのです。主を失った岡山城は小早川氏、池田氏と次々に主を変えて発展を続けますが、秀家は島で極貧生活に耐え、なんと83歳まで生き延びました。華やかな「金烏城」を築き上げた若き城主が、人生の半分以上を流人として過ごし、二度と我が城を見ることはなかったという、美しくも切ない歴史のドラマです。

築城者の悲しき運命…「完成直後に城を追われた宇喜多秀家」

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