水戸城

みとじょう

水戸城

Photo: Souka Kinmei / Wikimedia Commons / CC0

水戸城|御三家なのに天守閣なし! 見栄より「歴史研究と学校」に全振りした水戸城のインテリな素顔

水戸城を、御三家なのに天守閣なし! 見栄より「歴史研究と学校」に全振りした水戸城のインテリな素顔という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
水戸城
読み
みとじょう
別名
確認できる代表的な別名なし
所在地
茨城県水戸市三の丸ほか
築城時期
建久年間(1190〜1198年) 馬場氏による(のち佐竹氏、徳川氏が改修)
築城者
馬場氏
現在の城郭
現在、水戸城跡を歩くと、復元された美しい大手門や角櫓とともに、当時のまま残る弘道館(国指定重要文化財)を見学することができます。
文化財・指定
現在、水戸城跡を歩くと、復元された美しい大手門や角櫓とともに、当時のまま残る弘道館(国指定重要文化財)を見学することができます。

01

見栄より実利。天守の代わりは「三階建ての櫓」

水戸城には、西日本の城にあるような立派な石垣がありません。関東特有の土質を活かした深い「空堀」と「土塁」で守られた、大規模な土の要塞です。 また、御三家でありながら「天守閣」を建てませんでした。代わりに、本丸の隅に「御三階櫓(ごさんかいやぐら)」と呼ばれる3階建ての大きな櫓(やぐら)を造り、これを天守の代わりとしていました(残念ながら昭和の空襲で焼失しました)。 なぜ立派な城を造らなかったのでしょうか。初代藩主の徳川頼房が幕府(兄の家光)に遠慮したという説もありますが、最大の理由は、2代藩主・徳川光圀(水戸黄門)以降、水戸藩が「お城の改修などという無駄なお金を使うくらいなら、学問と教育にお金を回す」という極端なインテリ路線の藩風を確立したからです。

見栄より実利。天守の代わりは「三階建ての櫓」Photo: Unknown author Unknown author / Wikimedia Commons / Public domain

02

光圀が熱中した日本最大の歴史書プロジェクト

徳川光圀が城のメンテナンスよりも優先してお金を注ぎ込んだのが、『大日本史(だいにほんし)』という日本の歴史書の編纂プロジェクトです。 彼は「日本の正しい歴史を後世に残すことこそ、徳川家の使命である」と考え、全国に学者(助さん・格さんのモデル)を派遣して資料を集めさせました。このプロジェクトは光圀の死後も代々の水戸藩主によって受け継がれ、なんと完成するまでに「250年」もかかりました(明治時代に完成)。お城の石垣を積む代わりに、文字の石垣を延々と積み上げ続けたのが水戸藩なのです。

光圀が熱中した日本最大の歴史書プロジェクト

03

お城の中に日本最大の学校「弘道館」を建設

幕末になると、9代藩主の徳川斉昭(なりあき・最後の将軍徳川慶喜の父)が、さらに極端な教育重視の政策を打ち出します。 彼は水戸城の敷地(三の丸)に、「弘道館(こうどうかん)」という日本最大規模の藩校(学校)を建設しました。武芸だけでなく、医学、天文学、歴史学、さらには蘭学(西洋の学問)まで教える、現代の総合大学のような巨大なキャンパスを城の中に造り上げたのです。 斉昭は「国を守るのは城の壁ではなく、優秀な人材(人間)である」と本気で信じていました。現在、水戸城跡を歩くと、復元された美しい大手門や角櫓とともに、当時のまま残る弘道館(国指定重要文化財)を見学することができます。水戸城は、武力ではなく「知の力」で日本を動かそうとした、異端のインテリ武将たちの本拠地だったのです。

お城の中に日本最大の学校「弘道館」を建設Photo: Tast / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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