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法律違反の「ストリート布教」
当時の法律(僧尼令)では、僧侶が寺の外に出て勝手に民衆へ教えを説くことは禁止されていました。しかし行基はこれを無視し、街角や村に出向いて貧しい人々に仏教を説きました。朝廷は彼を「怪しい術で人々を惑わす妖僧(危険人物)」として弾圧しましたが、行基の周りには彼を慕う数万人の民衆が集まってしまいました。


ぎょうき
行基
奈良時代、朝廷から「民衆を惑わす僧」として活動を禁じられながら、後に東大寺の大仏造立に欠かせない人物となった僧侶・行基。 行基は寺にこもって仏教を説くだけでなく、各地を歩き、貧しい人々を救い、橋や道路、ため池を造りました。その活動は多くの民衆から支持される一方、当初は朝廷から危険視されていました。 ところが、聖武天皇が大仏建立を決意すると、朝廷はかつて弾圧した行基の力を頼ることになります。そして行基は、日本で初めて「大僧正」の位に就きました。 国家に逆らう僧から、国家最大の仏教事業を支える僧へ。 なぜ行基は、これほどまでに人々の心をつかみ、朝廷の評価を覆すことができたのでしょうか?
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当時の法律(僧尼令)では、僧侶が寺の外に出て勝手に民衆へ教えを説くことは禁止されていました。しかし行基はこれを無視し、街角や村に出向いて貧しい人々に仏教を説きました。朝廷は彼を「怪しい術で人々を惑わす妖僧(危険人物)」として弾圧しましたが、行基の周りには彼を慕う数万人の民衆が集まってしまいました。

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行基が民衆に支持された理由は、ただお経を読むだけでなく、自らスコップを握って「橋を架ける」「ため池を作る」「港を整備する」といった社会インフラの整備(ボランティア活動)を指揮したからです。彼に共感した人々が無料で労働力を提供したため、行基の集団は当時の国家機関をも凌ぐ巨大なゼネコン(建設集団)として機能しました。

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聖武天皇が「巨大な大仏を作る」と宣言した時、国家の予算だけではどうしても人手と資金が足りませんでした。そこで天皇はプライドを捨て、かつて弾圧していた行基に頭を下げて協力を依頼します。行基が「みんなで大仏を作ろう!」と呼びかけると、全国からあっという間に物資と人が集まりました。アウトローから日本のトップ僧侶(大僧正)へと登り詰めた、民衆パワーの勝利です。

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