01
鶴岡八幡宮での凄惨な暗殺劇
源実朝は、将軍の席から政治より遠い海と歌を見ていた。源実朝(みなもとのさねとも)の最期は、日本史における最も有名な暗殺事件の一つです。1219年1月、雪が降り積もる鶴岡八幡宮での儀式からの帰り道、大銀杏(おおいちょう)の陰から飛び出してきた甥の公暁(くぎょう=前将軍・頼家の子)によって、「親の仇!」と太刀で切りつけられ、首を討ち取られました。この事件により、源氏の正統な将軍の血脈はわずか3代で完全に途絶えてしまいました。


みなもとのさねとも
源実朝
源実朝は、将軍の席から政治より遠い海と歌を見ていた
01
源実朝は、将軍の席から政治より遠い海と歌を見ていた。源実朝(みなもとのさねとも)の最期は、日本史における最も有名な暗殺事件の一つです。1219年1月、雪が降り積もる鶴岡八幡宮での儀式からの帰り道、大銀杏(おおいちょう)の陰から飛び出してきた甥の公暁(くぎょう=前将軍・頼家の子)によって、「親の仇!」と太刀で切りつけられ、首を討ち取られました。この事件により、源氏の正統な将軍の血脈はわずか3代で完全に途絶えてしまいました。

02
源実朝は、将軍の席から政治より遠い海と歌を見ていた。政治の実権を母の北条政子や北条氏に握られ、実質的なお飾りの将軍であった実朝は、血で血を洗う御家人たちの争いに心を痛め、和歌の世界に没頭しました。京都の藤原定家に教えを乞い、万葉集の力強い歌風を取り入れた彼の個人歌集『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』は、武士らしい雄大さと繊細な感受性が入り交じる、日本文学史上の最高傑作の一つとして高く評価されています。

03
源実朝は、将軍の席から政治より遠い海と歌を見ていた。和歌以外にも、実朝には宋へ渡るという壮大な夢がありました。由比ヶ浜で巨大な唐船を造らせたものの、完成した船は遠浅の海に阻まれて動かない。ここで見えてくるのは、単なる失敗談ではありません。鎌倉の将軍が、武家政権の内側ではなく海の向こうへ出口を求めたこと、そしてその夢が完成した船の重さによって現実に引き戻されたことです。

SAME CATALOG


























































































