01
「逃げの小五郎」の生き残り戦略
桂小五郎は、剣で勝つより逃げて話すことで維新を動かした。幕末の京都で桂小五郎と名乗った木戸は、神道無念流の免許皆伝でありながら、斬り合いを避けて逃げ続けました。幾松の助けで潜伏し、生き残ることを最優先したのです。剣豪なのに刀を抜かない。この矛盾こそ、彼の最大の戦略でした。死ななければ、交渉も同盟も、次の一手も残るからです。


きどたかよし(かつらこごろう)
木戸孝允
桂小五郎は、剣で勝つより逃げて話すことで維新を動かした
01
桂小五郎は、剣で勝つより逃げて話すことで維新を動かした。幕末の京都で桂小五郎と名乗った木戸は、神道無念流の免許皆伝でありながら、斬り合いを避けて逃げ続けました。幾松の助けで潜伏し、生き残ることを最優先したのです。剣豪なのに刀を抜かない。この矛盾こそ、彼の最大の戦略でした。死ななければ、交渉も同盟も、次の一手も残るからです。

02
桂小五郎は、剣で勝つより逃げて話すことで維新を動かした。明治新政府において、木戸孝允(きどたかよし)は「五箇条の御誓文」の最終的な起草に関わるなど、新国家の理念作りを主導しました。さらに、大名から土地と人民を天皇(国家)に返上させる「版籍奉還」、そして江戸時代の藩を完全に解体する「廃藩置県」という、一つ間違えば内戦になりかねない巨大な痛みを伴う国家の大手術を、大久保利通らと共に断行しました。

03
桂小五郎は、剣で勝つより逃げて話すことで維新を動かした。岩倉使節団後、木戸は国内整備を優先し、西郷隆盛らと決裂しました。西南戦争の知らせを病床で聞き、死の直前に「西郷、いいかげんにせんか」と叫んだと伝わります。維新を一緒に作った相手が、最後には自分の政府と戦う。木戸の最期は、明治維新が仲間の友情だけでなく、仲間を分ける国家づくりでもあったことを突きつけます。

SAME CATALOG


























































































