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暗殺者たちを「客間」へ案内する
教科書でも有名な、暗殺される直前の名言「話せばわかる」。相手の将校が「問答無用!」と撃ったため、対話が通じなかった悲劇として語られます。 しかし、事件当時の官邸の状況を詳しく見ると、犬養毅の並外れた胆力が浮かび上がります。突然ピストルを持って乱入してきた青年将校たちに対し、犬養は逃げるどころか「まあ待て。撃つのはいつでも撃てる。とりあえず靴を脱いで、こっちへ来い」と、なんと彼らを客間へ案内したのです。


いぬかいつよし
犬養毅
「話せばわかる」。1932年5月15日、首相官邸に押し入った海軍青年将校らに銃撃され、命を落とした内閣総理大臣・犬養毅。日本の政党政治が大きな転換点を迎えた「五・一五事件」の犠牲者として知られています。 岡山に生まれた犬養は、新聞記者を経て政治家となり、長年にわたって議会政治の発展に尽くしました。「憲政の神様」とも呼ばれ、77歳で首相に就任。しかし、満州事変をきっかけに軍部の発言力が強まるなか、外交による解決を模索した犬養は、武装した青年将校らの標的となります。 そして1932年5月15日、首相官邸で凶弾に倒れました。事件後、日本では戦前の本格的な政党内閣が途絶え、軍部の影響力がさらに強まっていきます。 なぜ犬養毅は、軍部の台頭を止められなかったのか?そして、最後に何を語ろうとしたのか? 「話せばわかる」の言葉の裏側から、政党政治が崩れていった時代をたどります。
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教科書でも有名な、暗殺される直前の名言「話せばわかる」。相手の将校が「問答無用!」と撃ったため、対話が通じなかった悲劇として語られます。 しかし、事件当時の官邸の状況を詳しく見ると、犬養毅の並外れた胆力が浮かび上がります。突然ピストルを持って乱入してきた青年将校たちに対し、犬養は逃げるどころか「まあ待て。撃つのはいつでも撃てる。とりあえず靴を脱いで、こっちへ来い」と、なんと彼らを客間へ案内したのです。

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暗殺者たちも、まさか総理大臣が逃げずに自分たちを接待し始めるとは思わず、思わず靴を脱いで客間に上がってしまいました。 犬養は彼らをソファーに座らせ、タバコ(またはお茶)を勧めて「さあ、お前たちの言い分を聞こうじゃないか。話せばわかる」と、本気で彼らと政治議論をして説得しようとしたと伝えられています。しかし、後から遅れて部屋に乱入してきた別の将校がパニックになって「問答無用! 撃て!」と叫んだため、対話は途絶え、彼は凶弾に倒れてしまいました。

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犬養毅はただの頑固なお爺ちゃん政治家ではありません。彼は若い頃からアジアの革命家たちを熱心に支援していました。 特に有名なのが、中国革命の父である「孫文」です。孫文が日本に亡命してきた際、犬養は彼を匿い、活動資金を援助して革命を裏から支えました。暗殺の瞬間まで言葉の力を信じ、国境を越えてアジアの未来を描いていた、極めてスケールの大きな人物だったのです。

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