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生涯57戦「無傷」という戦闘マシーン
徳川四天王の一人として家康を支え続けた本多忠勝(ほんだただかつ)の最も驚異的な伝説は、「生涯で57回の合戦に参加しながら、ただの一度も敵の武器による傷を負わなかった」というものです。後方で指揮を執っていたわけではなく、常に最前線で槍を振るって突撃を繰り返していたにもかかわらず無傷であったことは、敵味方から「死神に嫌われた男」「鬼か神か」と恐れられました。


ほんだただかつ
本多忠勝
鹿の角の兜を被り、巨大な槍を振り回して最前線に突撃する猛将。敵である豊臣秀吉や武田信玄からも「家康にはもったいないほどの武将だ」と絶賛された、戦国随一の戦闘プロフェッショナル。
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徳川四天王の一人として家康を支え続けた本多忠勝(ほんだただかつ)の最も驚異的な伝説は、「生涯で57回の合戦に参加しながら、ただの一度も敵の武器による傷を負わなかった」というものです。後方で指揮を執っていたわけではなく、常に最前線で槍を振るって突撃を繰り返していたにもかかわらず無傷であったことは、敵味方から「死神に嫌われた男」「鬼か神か」と恐れられました。

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その強さは、敵対する大名たちをも魅了しました。一言坂の戦いでは武田軍に追い詰められた家康を逃がすために見事な殿(しんがり)を務め、武田方から「家康に過ぎたるものが二つあり(家康にはもったいない素晴らしい武将だ)」と絶賛されました。また、小牧・長久手の戦いでは、圧倒的な大軍の豊臣秀吉に対しわずか500の兵で立ち塞がり、その度胸に感銘を受けた秀吉が「彼を殺してはならない」と攻撃を止めさせたという逸話が残っています。

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忠勝の武具は、強さを見せる道具であると同時に、戦場で味方に居場所を知らせる旗印でした。蜻蛉切、鹿角の兜、巨大な数珠という一目で分かる姿は、敵に恐怖を与え、味方には「本多忠勝が前にいる」と伝える。無傷伝説の裏側には、誰より目立つことで隊をまとめる視覚的な指揮術がありました。

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