01
12歳で医学部へ。しかも年齢を偽った
森鴎外は12歳で東京へ出ました。 そして入ったのが、今の東京大学医学部につながる学校です。 ただし、12歳では入学条件に足りません。 そこで鴎外は、14歳だと年齢を偽って入学しました。 12歳の少年が、年齢をごまかして医学の学校へ。 そして1881年、19歳で東京大学医学部を卒業。しかも最年少でした。 かなりの天才です。 そして、かなり無茶をする少年でした。


もりおうがい
森鴎外
森鴎外は、明治時代(1868〜1912年)から大正時代(1912〜1926年)に活躍した小説家です。『舞姫』や『高瀬舟』などを書き、外国文学の翻訳も手がけました。 もう一つの顔は、陸軍の軍医です。医学を学び、軍医として働きながら小説を書きました。 小説家であり、軍医でもあった。 森鴎外は、二つの世界で活躍した人物です。
01
森鴎外は12歳で東京へ出ました。 そして入ったのが、今の東京大学医学部につながる学校です。 ただし、12歳では入学条件に足りません。 そこで鴎外は、14歳だと年齢を偽って入学しました。 12歳の少年が、年齢をごまかして医学の学校へ。 そして1881年、19歳で東京大学医学部を卒業。しかも最年少でした。 かなりの天才です。 そして、かなり無茶をする少年でした。

02
1884年、鴎外はドイツへ留学しました。 そこで、ある日本人外交官から言われます。 「人前で鼻糞をほじる国民に、衛生も何もあるものか」 鴎外は言い返せませんでした。 でも、忘れませんでした。 ドイツで3年間、いろいろな人を見ても、鼻糞をほじるヨーロッパ人に出会わない。 帰国しても、この疑問は残りました。 そして20年以上たった1909年。 ついに、ヨーロッパ人が鼻糞をほじる記述を文学作品の中に発見します。 鴎外は、それを「大発見」という小説にしました。 そして最後に、あの外交官へ報告します。 「欧羅巴人も鼻糞をほじりますよ」 22年越しの勝利です。

03
軍医の最高位まで上り、文豪として名を残し、晩年には帝室博物館総長まで務めた森鴎外。ところが、死の3日前に口述した遺言で、彼はそれらの肩書きを自分から外そうとしました。 遺言には、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」とあります。さらに、宮内省や陸軍から受けた栄典についても、取りやめてほしいと求めています。 12歳で年齢を偽って医学部へ入り、軍医、官僚、作家として巨大な肩書きを積み重ねた人生。その最後に鴎外が選んだのは、文豪「森鴎外」でも軍医総監でもなく、故郷・石見に生まれた一人の人間「森林太郎」でした。 若いころから異様なほど肩書きと実績を積み上げた人物が、最期にはそれを全部外して死のうとした。森鴎外の人生を見るうえで、かなり象徴的なエピソードです。

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