01
異例のスピード出世と遣唐使の廃止
菅原道真は、左遷された政治家から雷神と学問の神へ変わった。菅原道真は、代々学者の家系に生まれ、幼い頃から漢詩の才能を発揮した神童でした。その天才的な頭脳を宇多天皇に見出され、藤原氏が権力を独占していた朝廷において、右大臣というトップクラスの地位まで異例のスピード出世を果たします。また、唐(中国)の衰退を見抜き、「遣唐使の白紙撤回」を提案して日本の独自文化(国風文化)が発展するきっかけを作った優れた政治家でもありました。


すがわらのみちざね
菅原道真
菅原道真は、左遷された政治家から雷神と学問の神へ変わった
01
菅原道真は、左遷された政治家から雷神と学問の神へ変わった。菅原道真は、代々学者の家系に生まれ、幼い頃から漢詩の才能を発揮した神童でした。その天才的な頭脳を宇多天皇に見出され、藤原氏が権力を独占していた朝廷において、右大臣というトップクラスの地位まで異例のスピード出世を果たします。また、唐(中国)の衰退を見抜き、「遣唐使の白紙撤回」を提案して日本の独自文化(国風文化)が発展するきっかけを作った優れた政治家でもありました。

02
菅原道真は、左遷された政治家から雷神と学問の神へ変わった。道真の急すぎる出世は、当然ながら名門貴族・藤原氏の激しい嫉妬と反発を招きました。ライバルである藤原時平の陰謀により、「道真が天皇を廃立しようと企んでいる」という無実の罪を着せられ、九州の大宰府へ左遷されてしまいます。華やかな京都から遠く離れた地で、粗末な生活を強いられた道真は、自分の無実を訴えながら、わずか2年後に悲しみの中で病死しました。

03
菅原道真は、左遷された政治家から雷神と学問の神へ変わった。道真の死後、京都では恐ろしい出来事が続発します。彼を陥れた藤原時平が若くして狂死し、さらに朝廷に雷が落ちました。人々は怨霊を鎮めるため北野天満宮を建立し、時が経つと「学問の神様」として祀るようになります。では、なぜ怨霊が受験生の味方になったのか。恐怖を消すために祀った人物の、生前の学者像だけが後世に選び直された――天神信仰は、怨霊を消去せず、人気者へ翻訳した歴史なのです。

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